【代表メッセージ】己を修め、人を治める【人間力向上№52】
- 西里喜明

- 5月25日
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古典「大学」には人の上に立つ者の心得として「修己治人」が説かれている。
「己を修め、人を治める」とは、儒学の根本思想であり、指導者や上に立つ者は「まず自分自身の人間性を磨き(修己)、その徳と感化力によって初めて人々を正しく導き治めることができる(治人)」と説く。
現代は知識や情報によって人を指導し、育成しようという状況を見聞きするケースが目につく。特にICTによる情報化の拡充によって企業の人材育成も知識力・技術力をベースとしたものになりつつあり、ICTのソフトプログラムによって知識・技術の向上を図り、もって人材育成に繋げようという企業も増えてきている。
プロ野球界の名将と言われ、数々の名選手を育て、幾度となく日本一・頂点に立った野村克也監督は「人間的成長なくして技術的進歩なし」「野球選手である前に社会人としてしっかりした自分を作れ」「監督の仕事で大事なのは人間教育・社会教育」という名言を残している。
これは、技術は人間としての器の上にしか積みあがらない、人間性が未熟なら技術も伸びない、ということだろう。人間性が未熟な選手は、自身の成績が良くなると有頂天になり、努力を怠り、選手寿命を短くしてしまう人を数多く見てきたと語っている。
一角の人物になるためには、やはり自分自身を磨き、謙虚に自分の仕事、役割を務めることに尽きる、ということであろう。
他人に影響力を与え、正しい道に導いていくには、自分自身をしっかり磨き、人として尊敬できるように立ち居ふるまうことが肝要である。
己を修めるためには何が必要だろうか。
事あるごとに、謙虚に反省し、先人の教えを学び、自分事として考え・行動を改めていくことが重要であろう。それを実践するためには、「深い内省」が求められる。単なる反省ではなく、自分自身の深層心理まで入り込み、肚落ちするまで考え、自分自身の行動規範を高めていく。そのうえで、感情や習慣をコントロールし、平常心で人に接する。このような生活習慣を継続することによって、人としての在り方が高められ、人間性が磨かれていくと思う。
そのような人から教えられ、諭されると納得感・肚落ち感が高まり、人間として大きく成長できるのではないか。
今後、高度な情報社会にあって、ICTの活用は避けて通れない環境になるのは当たり前の企業社会となるが、その中にあっても人材としては奥の深い(修己)人間として、部下やメンバーを育成(治人)していく人間でありたい。
株式会社CSDコンサルタンツ
代表取締役 西里 喜明



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