【代表メッセージ】言葉の意味するものと、人の真心【人間力向上㊷】
- 西里喜明

- 7月22日
- 読了時間: 2分

真夏の決戦・参議院選挙が終わった。結果の賛否は別として、選挙の度に展開される「言葉遊び」についての違和感を示しておきたいと思う。
選挙公約や演説の中に、「国民の生活を守る」「国民の安全を守る」というような言葉がよく使われるが、その国民とは誰を指すのだろうか。自分の支持者だけなのかと疑いたくなる。選挙期間中は公約を実現すると必死に演説し、支持をお願いして、当選したら自分たち優先の「上から目線」の議員が多く目につく。
自身が批判している「今の現実」は誰が創り出したものなのか。少なくとも現役の議員はその責任を自覚し、真摯にその職務に臨んで欲しいと思う。
政治家の失言も概ねそのような上から目線の「こころ」の在り方が根底にあり、相手を傷つけている。謝罪しても「こころ」が伴っていないので、空虚に響くし、幾度も繰り返してまた問題になるのである。
私たちの現実には、非常に難しい状況が多々あるが、このような情勢だからこそ政治家には「国民・市民に寄り添って」対応していく、生きていくという真摯な姿勢が求められているはずだ。
この「寄り添う」という言葉もよく使われるが、本気で寄り添って欲しい強く願っている。
私は、人には「真心」というものがあると信じているが、真心とは、誠実さの根源であり、飾らない心だと思う。相手に対する誠意や敬意の表れであり、利害を超えて人としてどうあるべきか、を考えるときに滲み出るものである。その上にこそ、信頼関係が築けるのではないだろうか。
自分の仲間・身内だけに寄り添い、対応力を誇示する人を信頼できるだろうか。関係するすべての人に、真心をもって向き合い、自分の至らなさ、未熟さに気づき、学び続ける事が自己成長につながるのではないだろうか。
私たち社会人が自分の生活環境の中で関係する人々に、「真心」を持って寄り添い、真摯に生きていく事ができれば、世の中は少しずつ良くなる。相手を批判して、自分の優位性をことさらに訴えなくても生きやすい世の中になる。自分の発した言葉に責任を持ち、「真心」をもって対応していきたい、そう強く思う。
株式会社CSDコンサルタンツ
代表取締役 西里 喜明



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